富くじ史と税金
瀧安寺の富会(とみえ)
富籤(とみくじ)の起源は外国ではやや古そうですが、日本では、約380年前の江戸時代初期、現在の大阪府の瀧安寺で、正月の元旦から7日までに参詣した善男善女が、自分の名前を書いた木札を唐びつの中に入れ、7日の日に寺僧がキリで3回突き、3人の“当せん者”を選びだし、福運の“お守り”を授けたのが起こりとされています。
富くじ禁止令
その後は次第に金銭と結びつくようになって、富籤が町に氾濫するにおよび、徳川幕府は、元禄5年(1692年)、寺社の修復費用調達法としての“富くじ”を除き、発売禁止としました。
しかし、幕府公認の寺社富くじも、天保13年(1842年)の「天保の改革」によって禁止となり、明治になってからも、明治元年(1868年)の「太政官布告」によって、禁令は継続し、その後刑法規定に引き継がれています。
天保の禁令以来、103年もの長い間、日本では“富くじ”は発売されませんでした。
公的富くじの解禁
昭和20年7月、政府は軍事費の調達をはかるため、1枚10円で1等10万円が当たる富くじ“勝札”を発売しました。
しかし、抽選日を待たず終戦となったため、“負札”と呼ばれことになりました。
戦後の20年10月、政府は“宝くじ”という名前で発売を引き継ぎました。
さらに戦災によって荒廃した地方自治体の復興資金調達をはかるため、各都道府県が独自で宝くじを発売できることとしました。
政府くじは昭和29年に廃止され、その後は地方自治体が独自又は共同で発売する“地方くじ”のみになりました。
解禁の根拠法は当せん金付証票法
富くじの発売授受は刑法で禁止されていますが、当せん金付証票法により、都道府県と政令指定都市および総務大臣許可特定市に限り禁止は解除されています。
そして、購入資金の40%が地方公共団体の公共事業財源となることから、「所得税を課さない」との規定が置かれています。
なお、住民税の所得計算は所得税法の規定によって算定するとされているので、住民税の非課税の明文規定はありませんが、住民税も非課税です。